こちらももう一か月経ってしまったんだなあ…文章を書くことは好きなのですが、普段、言葉を介さない直観的な思考状態でいることが多く(つまりぼーっとしているということでしょうか)、言語化することに時間を要してしまうようです。
もともとあまりインスタントに表現できるタイプではないのですが、ネガティブなものでなくても色々溜め込んでしまうのも体に良くないので、インプットとアウトプットのバランスを心掛ける、というのがここ数年の自分自身の課題でもあります。
こんな気ままなブログを読んでくださっている方、本当にありがたいなと思います!読んでくださる方を想像しながら書くことで、こういう時でも繋がれる感覚を持てることが嬉しいです。
5月には、静岡県文化プログラム公演である、舞踊と音楽と演劇の祭典『ふじのくにものがたり』が無事に行われました。本来は昨年7月にオリンピックと同時に開催予定でしたが、コロナのため延期になり、ようやく開催の運びとなり、このような時期ですが、ここでお知らせする前にすでに前売り券が完売するという嬉しい状況でした。
私は作曲家渡会美帆さんの書下ろしの作品を演奏する室内楽団「帆楽伶奏団」の一員として、舞踊と演劇で魅せるかぐや姫の物語を、フルート、ピッコロ、篠笛、真笛(まこぶえ)、田楽笛の5本を持ち替えて演奏しました…!
作曲当時からメンバーは固定されていたので、私が持っている楽器に合わせて曲を書いてくださったのです。自分が吹くことを想定して作曲してくださるなんてことは、委嘱作品でもなければ機会はないもので、本当に嬉しく、期待に応えられるようにと気持ちも上がります。
とはいえ、真竹で作られた真笛と、龍笛に近い田楽笛は今回初披露。それも、笛が目立つように書いてくださった渡会さんの音楽は、かなりの体力と精神力と集中力を必要とするもので、本番一週間前に3日間の音楽リハーサルを終えた後には、数日腕が上がらないほどでした。
能管の「ひしぎ」という音をご存知の方もいらっしゃると思いますが、石でできた古代の笛、石笛(いわぶえ)の音を模したものです。古代祭祀の際、石笛のこの鋭い音は、神と繋がる「神降ろし」の音として重用されました。ひしぎの音も同じく、能の場面で神や現実世界でないものを表すのに使われますが、今回も山の神のシーンで、このひしぎが何度も登場しました。
一音吹く毎に魂も身体も全て持っていかれると言ったらいいのでしょうか、神様を降ろすにはそれだけの力が必要なのですよね。能管や龍笛の樺巻が魔除けであるという説にも、体感的にとても説得力を感じました。
そんなことで、本番中は音楽を味わいながら吹くという余裕までは全くありませんでしたが、渡会さんの音楽は、変拍子の多い現代曲でありながらも、舞楽や民俗芸能のモチーフも借用して見事に構築された素晴らしいもので、終わってからもしばらく気持ちのいい余韻が体に浸透していました。
そしてまた、舞踊や演劇という舞台芸術に携わる方々からも、本番までのコンディションの整え方や、音楽の世界とは異なる表現力・集中力、作品の解釈の仕方など、ご一緒できて様々なことを学ばせていただき、たくさんの刺激を受けました。そしてもちろん、私達演者を支えてくださった制作・技術の方々の見えないご苦労にも。
大勢の方々の力で作り上げられた舞台は、徹底した感染対策と、プロフェッショナルな仕事振りと、舞台芸術への情熱と喜びに満ち溢れたものでした。
演奏者はオーケストラピットにいたため舞台が見えず、本番を振り返るのは映像が届いてからになりそうですが、満席の会場から届いたカーテンコールでの拍手には胸が熱くなりました。ご来場のみなさま、このような時期に足をお運びくださいましてありがとうございました。
何カ月も、何年もかけて準備してきたものが、数時間で終わってしまう。そしてもう二度と同じように再現することはできない。それが舞台芸術の儚さであり魅力ですね。でも、その夢のような時間は、心に深く染み入って、私達の生きる支えとなってくれる。
日本の、世界の各地でまた、こうして夢想の世界に浸れるたくさんの場が早く戻ってきますように。
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